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2019年度スタート。
2019年04月08日 (月) | 編集 |
今日から2019年度の通常授業を始めました。
とはいえ、今日は5名しか出席がありませんでした…(汗)。
それでも出席してくれた塾生は、みなしっかり集中していたので良かったです。

明日からは集団授業も始まります。
集団授業を受講している塾生のみんなは時間を間違えないようにして出席してくださいね。

それでは、明日も教室で待っています。
あ、新中1~新中3の塾生のみんなには明日「プレゼント」があるので、大きめのバッグを用意してきてくださいね。


宝物が1つ増えました。
2019年04月06日 (土) | 編集 |
今日、塾を卒業する新高1生から手紙をもらいました。
こういうのはやっぱり嬉しい。
宝物がまた1つ増えました。

前の勤務先で塾講師となったのは15年前。
初めて担当した中3生の1人から手紙をもらったときはとても嬉しかったです。
授業もへたくそな状態で、毎日凹みまくっていたときに「先生が担当になってくれて良かった」と書いてあるのを目にしたときは涙が止まらなかったですね。
その手紙は今も大切に取ってあります。

今回もらった手紙もまた自分の支えになります。
「ありがとうございました」と書かれていましたが、こちらこそ「ありがとう」です。
高校に行っても、ぜひがんばってほしいと思います。

卒業生が来てくれたときも、
こうやって手紙をもらったときも、
元気に合格の報告に来てくれたときも、
涙ながらに合格の連絡をくれたときも、
やっぱり、
「ここまで続けてきて良かったなぁ」と思います。

正直、小さいころから習い事はいろいろやりましたが全部1年ほどで辞め、中学の部活も途中退部、高校こそ応援団を3年続けましたが、最初の就職先も1年持たずに退職(まあ、これについてはここに書くと大変なことになるので…)という私が、まさか15年も同じ仕事を続けていられるとは自分でも驚きです(笑)。

自分は幸せだなと思います。
多分、自分ひとりじゃ続けられなかった。
塾生のみんなと、保護者の方々と、塾を経営するに当たって協力いただいている方々と、そして私の家族と。
自分はみんなに支えてもらっているんだなぁ、力をもらっているんだなぁと。
みなさん、本当にありがとうございます。

支えてもらっている分、塾生のみんなの実力アップや進路実現で、少しでも恩返しできればと思います。
来週からは2019年度の通常授業を始めます。
塾生のみんな、また一緒にがんばりましょう。
春期講習から塾生になってくれたみんな、これから一緒にがんばっていきましょう。

また、教室で待っています。
2019、全力前進!
私もまだまだがんばりますよ!


春期もあと1日。
2019年04月05日 (金) | 編集 |
春期講習もあと1日。
みんなよく集中してがんばっています。

道コンが終わっても、1学期の予習を始めさせたこともあり、ビシッと集中しているのが嬉しいです。

明日で、塾を卒業する生徒が2名。
新高1の2名ですが、それぞれよくがんばってくれました。
受験後も、高校の予習に取り組んでいた姿は、周りの見本にもなってくれました。
高校でも思う存分、輝いてほしいと思います。

それでは、明日。
またがんばっていきましょう。
教室で待っています。


道コン終了。
2019年04月03日 (水) | 編集 |
当塾での4月道コンは今日で終了。
明日予定していた新小5・新小4道コンは受験者不在のため、なくなったのです。
とはいえ、昨日受けられなかった新中1の生徒の後日受験を行うので、結局、私は教室にいるのですが…。

まだ新中3の生徒の採点はしていませんが、
「やたらと凡ミスが多いなぁ」
というのが今までの採点を終えての感想。

ちょっと前まで受験生に
「細かなミスは絶対にダメ」
「凡ミスは不合格に直結するよ」
と念押ししまくって、ミスしないように指導してきたので、とても「ミスが多い」と感じます。
まあ、毎年こんなものなのかもしれません。

これからですね。

さて、明日以降も春期講習は続きます。
明日以降に出席する人はぜひ新学年の内容の予習を始めましょう。
スタートダッシュを決めて、1学期の成績を上げる。
これが当面の目標です。

それでは、明日もがんばりましょう。
教室で待っています。


「足利義政」を考える。
2019年04月03日 (水) | 編集 |
今日、道コンの監督中にふと「応仁の乱」について考えてみた。

足利義政。
言わずとしれた戦国時代の幕開けとなる出来事「応仁の乱」の主役(?)。
応仁の乱と言えば室町幕府の権威が失墜する出来事である。
守護大名である畠山氏の後継争いに加え、8代将軍・足利義政の後継問題、守護大名同士の対立なども絡んで今日とを焼け野原にした戦いである。

と、ここまでは中学社会や高校日本史で説明されていることである。

今日考えたのは、
「なぜ、足利義政の後継問題が起きたのか」ということだ。
これも、高校日本史で「子供ができなかった義政が出家していた弟・義視(よしみ)を還俗させ後継としたが、直後に妻・富子が後の9代将軍義尚(よしひさ)を生んだため後継者争いが起きた」と習う。

ここが「?」ポイント。
「なぜ、義政は自分の意見を通せなかったのか」というところだ。
これはよく「妻の日野富子に気圧されるダメ夫・義政」というような感じで描かれている。

で、ここからが想像。
「通せなかった」理由は他にあるのではないか。

義政の父は室町幕府6代将軍の足利義教(よしのり)。
義教の父は3代将軍の義満。
義満と言えば室町幕府の全盛期を築いた将軍である。
義教はその四男で、長子相続の武家社会では後継者になり得ない立場だった。
義教は出家し、天台宗の座主(えらい立場)となっていた。

だが、5代将軍・足利義量(よしかず)が19歳で逝去、跡継ぎがいなかったため、くじ引きで義教が将軍となる。
このとき、義教はすでに35歳。
医療もまったく発達していないこの時代で、義満も50歳で亡くなっていることを考えれば、いつ、何があってもおかしくない年齢だった。
史実に寄れば、義教は守護や公家への圧迫を強め、将軍職を巡り争っていた親族の足利持氏(もちうじ)を滅ぼすなど、かなり厳しい人物であったようだ。

この義教の3番目(?)の子として生まれたのが、義政である。
とはいえ、出家していた義教は35歳まで妻を持っていなかった。
長子で7代将軍となる足利義勝(よしかつ)は義教が40歳のときの子。
義政は父・義教が42歳のときの子。
その弟である義視は義教が45歳のときの子である。

この後、義教は家臣の赤松満祐(みつすけ)に暗殺される。
嘉吉の乱である。
このとき、義政はわずか7歳だった。

義教の死後、長子・義勝が9歳で将軍となるが、1年も経たないうちに赤痢で亡くなる。
つまり、義教はわずか1年で父と兄を失ったことになる。
7歳の義政にはどれほど衝撃であったかは想像に難くない。

この後、義政が8代将軍となるのだが、ここにも「?」がある。
義政が将軍となったのは13歳のとき。
兄・義勝が亡くなってから「空白の6年」があるのだ。
ちなみに、6代の義教の前にも4年間の将軍不在期間がある。
すでに、このときから将軍後継争いとそれに伴う有力守護の権力争いは始まっていたと考えられる。

7歳から13歳という多感な時期に、すでに権力争いに巻き込まれていた義政。
義政以外の後継者候補もみな同じような年齢だったことが、義政にとっては不幸だったかもしれない。
自分が成長するまで将軍となってくれる人物がいなかったのだ。

「空白の6年」を経て、1449年、義政は8代将軍となる。
管領・畠山持国の補佐で当初は政務に励んでいたとの記述が日本史の資料集にある。
ところが、その畠山持国も1455年に亡くなる。
(ここで応仁の乱の直接的な原因となる畠山氏の家督争いが起こる)
義政は、政治から一歩身を引くようになったようだ。
このとき、義政は19歳。
本来であれば、これからという時期である。
が、義政はそうはしなかった。

その12年後、30歳で我が子を授かった義政は自身の後継者について強く言わなかった。
「言えなかった」「言いたくなかった」のではないか。
「言えば自分も父・義教のように…」という思いがあったのではないか。
強く出れば、敵を作る。
1年で肉親を2人も亡くし、権力争いもずっと目にしてきた少年期を考えれば、こういう気持ちになったことも想像できる。

応仁の乱後、1473年に将軍職を息子・義尚に譲り、京都の東山に東山山荘(のちの慈照寺)を建設、隠居生活を始めた義政。
有名な銀閣が完成したのは1489年。
銀箔を貼る予定だったというのは俗説だそうだ。「銀閣」という名も江戸時代に付けられたものらしい。
義政は静かに仏門に帰依できる場所が欲しかっただけだと思われる。
というのも、この1489年に息子であり将軍であった子・義尚が亡くなっているのだ。
父や兄だけでなく、愛する我が子にも先立たれた義政の悲しみはどれだけのものだっただろう。

この1年後の1490年、義政は亡くなる。


こう見てくると、足利義政ほど時代に翻弄された将軍はいないと思う。
「平穏に生きたい」という思いが、応仁の乱につながったのであれば、なんという皮肉だろう。

歴史は「人の歴史」。
後世に生きる私たちは、先人の功績だけでなく、「人として」どう考え、どう生きてきたかを考え、学ぶことができる。
義政はとても優しい人物だった。
ただ「平穏に生きたい」と願う人物だったと私は思う。

こういう風に歴史を考えて見るのもとてもおもしろいと思うのだ。
歴史嫌いの塾生諸君。
歴史もおもしろいぞ。